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2020年05月18日

龍の宮を考える

先日龍の宮物語の放送がありました。龍の宮がある生活を手に入れた今の私は超無敵!!!
つか、だれか時系列纏めてくれないかなぁ?と思ったけどまあちょっとだけ書き出してみる。


プログラムによると清彦さんが龍の宮に行ったのは明治中期(明治時代1868~1912年)って事だけど、戻ってくるまでの30年の間に日英同盟(1902年)・日露交渉(第一条約1904年、第四条約1916年)・日露戦争(1904~1905年)・関東大震災(1923年)があって、関東大震災の数年後に地上に戻って来たって事は1900年頃に池の底に行ったって事かな。工業がどんどん成長しているこの時に池から帰ってきた清彦さんは本当に驚いただろうし、正に浦島太郎状態だったろうね。

で、清彦さんのおじいさんに当たる山彦さん。バウで見た時に私は、山彦さんは死んでるんだと思ったのね、ずっと前に死んでてでも清彦の事が心配で、清彦に「池に近づくな」と言う為に現世に出て来てたのかなって。

で、龍の宮の放送を見た相方が「山彦さんが池から帰って来たら孫(清彦)が同じ年ぐらいになってて、自分の子孫を池に行かさない為に一緒に学生として過ごしたんじゃないか」って。なるほど、確かにそうかもしれない。山彦さんは身寄りもなく学校卒業後もお世話になってるお家にずっといるんだけど、関東大震災で亡くなってしまったのね。亡くなってしまった後もずっと学生の夏にみんなで過ごした避暑地(龍の宮の池の近くにある)で幽霊として(?)清彦が来るのを待っていた。真実を伝える為に。

山彦さんは他の学生さんとは違って足袋も履いてないし着物の下にシャツも着ていない、髪もボサボサの散切り頭。だから幽霊、というか人ではないモノだと思ってたんだけど。でも時代が違うからあの風貌だったんだね、きっと。

山彦さんは結構長い間池にいたのかな?と思っているのね。池で過ごす1日が地上の10年だとして、そうなると清彦さんは帰って来たら30年経ってたので池に3日いた事になるかなと。

山彦さんが池に行った時が20歳頃だとして、戻って来た時に孫の清彦が同じ20歳頃になっている。山彦さんは池に行く前に結婚して子供(0歳仮)がいたとして、その山彦さんの子供も20歳前後で結婚出産したとして、更にその子供(清彦)が20歳になるまでで合計40年。って考えると山彦さんは4日ほど池の中にいたのかな?清彦さんが1900年頃に池に行ったとすると、山彦さんはその40年前の1860年頃、つまり江戸末期に池に行った事になるのかな。1860年は桜田門外の変のあった年。山彦さんも池から戻ったら、激動の幕末からの移り変わりにさぞ驚いただろうね。

まあでも池にいた時間はもっと長いかもしれないけど。だって池の1日が地上の10年とかどこにも書いてないし誰も台詞で喋ってないし。えりかさんのお茶会でもネタバレ禁止でほとんど公演の話はきけなくて「ぴーすけ、今日お茶会でしょ?ネタバレするなよ」みたいな事をさっき出がけに先生に言われたからネタバレ出来ないんです~ってえりかさんニコニコしてたけどね。かわゆい。

しかし見直した今も謎が全く解けない。池から戻ってきた清彦さんは知った人たちがほとんどいなくて、やっと自分の知ってる人に会ったけどそれは自分が好きだったお嬢さんの婚約者でおまけにお嬢さんは亡くなってるの知らされて絶望しちゃう。山彦さんはどうだったのかな。山彦さんも嫁も子供もいなくなっててきっと絶望したかもだけど、成長した清彦に会って『池に行かせないようにする』っていう使命みたいのが出来たから生きれたりしたのかも?と思ったり。

こうやってあれこれ考えてると、こういう浦島太郎的なファンタジーは全部わかってしまわずに謎が謎のままの方がいいのかも、ね?

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