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2007年11月15日

お誕生日おめでとう。

福田悠太くん21歳のお誕生日おめでとう。

20歳の一年は楽しかった?嬉しい事は沢山あったかな?笑顔で過ごせたかな?

98年1月にJr.に入ってもうすぐ10年。
わたしにとっての、貴方のオマケのジュニア人生がちょうど半分になりました。
オマケって何?って思うよね。ふふふ。オマケってのはその名の通り「景品というか付録というか、思いがけずに貰えて嬉しいモノ」の事です。

じゃあオマケのジュニア人生って何?

 
03年4月25日。沢山沢山泣きました。貴方はその時どんな思いでいたんだろう?
まだ私も若かったから噂に翻弄されて、真実と嘘を見分ける事が出来ずにいて、全てを鵜呑みにして…それで沢山泣きました。泣いて泣いて泣いて泣いて…そして携帯の音が怖くなりました。携帯のピコピコした機械っぽい着信音が鳴ると自分にとって嫌な事を聞かなくてはいけないかもしれない、聞きたくない事実を突きつけられるかもしれないと感じたのです。その日から私の携帯は音が鳴らなくなりました。音も鳴らない、振るえもしない、ただ着信があるとピカピカと光って知らせるための道具になってしまったのです。あ、今は大丈夫ですよ。今は音も元気に鳴っていますから。

そして貴方と彼に関する噂を必死に探しました。私が読んだ中に真実があったのかはわかりません。でも探せば探すほどどんどん落ち込んでしまって、聞きたくない噂も耳に入ってきました。正式発表もなく、貴方に直接会って話す事も当然出来るワケがないあの時には、ネットだけが頼りだったんです。
目が溶けて流れるぐらい泣いた日から約3ヶ月後、再び貴方がTVで踊っているのを見た時、本当に嬉かったんですよ。さらに3ヶ月後にはウェブのジュニア紹介に名前が載ってたりと、そんなちっぽけな事でも喜びをくれましたね。

あの日あの時に私は一度ピリオドを打ちました。貴方の未来への幸せと喜びを願いながら。だからそれ以降のジュニア人生は私にとってオマケなのです。ピリオドを消して、続きを書くつもりはありません。追伸として書き続けていきます。でも貴方にとってはずっと続いている道なのかもしれませんね。オマケなんて言うのは非常に迷惑な事かもしれません。あの日をもっと違う言葉で言ったら「第二章の始まり」でしょうか。でも私はオマケと言う言葉を使いたい。だってオマケって嬉しいもん。期待をせずに済むでしょう。貰えなかったら仕方のないもの、でも貰えたらとても嬉しいものだから。

オマケだと思うと途端に全てがキラキラして見えました。サプライズだと思うと今まで思っていた「TVに出てあたりまえ」「コンサートのバックに付いてあたりまえ」ってのが全てアタリマエじゃなくなったから。気が楽になったっていうのかな。「今日も出てない、どうしたんだろう」じゃなくて、出ていた時に「嬉しいな」って素直に思えるようになったから。
あの後一年ぐらいはほとんど仕事もありませんでしたね。あの年は少クラに1回キンキバック出演とキンキFツアーぐらいしかお仕事無かったんじゃないかな。「辞めたの?」と何度か訊かれた事もありました。でもその年を乗り越えたら翌年すぐにNEWSコンのお仕事が入り、夏には嵐コンに再び付くようになりましたね。更に翼一座・PZ・SHOCK・Q舞台にも出ましたね。それらが全てオマケだと思ったらこんなに素敵なオマケはないよね。

清水玲子さんの漫画「秘密」の中で、死んだ(殺害された)人間の脳を取り出し刺激を与え、その死んだ人間が見たものを映像化して事件解決に向かうというのがあります。私の脳を取り出してスキャンしたら、キラキラとした笑顔の貴方の姿が沢山映し出されるんだろうな、といつも思うのです。
お兄ちゃんJr.たちの膝に乗って肘置きにされている姿、抱えられてブンブン振り回されている姿、半テンポ遅れて踊っている姿、脹れて半べそになっている姿、携帯ゲームに夢中になっている姿、そして何よりシンメの彼と手を繋いで楽しそうにしている姿…。いつかは薄れてしまうこの記憶を映像として録画できたらどんなにか素晴らしいのになと思うのです。ふふふ。

オマケは沢山欲しいけれど、欲張ったらダメよね。
一番の願いは貴方が幸福でいれる事なんですよ。

僕の中で一番やさしい夢を君の瞳にあげよう
テーブルのイチゴジャムほどの甘さを乗せて

お誕生日おめでとう。
あたたかい陽だまりのような福々な日々を過ごして下さい。
21歳の貴方にも会えたら嬉しいな。

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