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2006年11月30日

和の心

光一くんからお小遣いが送られてきたので、滝ちゃんと翼くんに会うために振込をしてきました。そう言えば光一くんのお小遣いはエイトの返金をスライドした覚えが…。まあいいか。

話は変わって昨日の話。
つい先日まで庭の剪定さんが来てくれてました。おかげ様で庭が綺麗になりました。で、その後片付けやいちょうの葉っぱ(銀杏は無事終了しましたよん)を掃こうと庭に出たら、なんだか庭がスッキリしている。何だ?何が違うんだ?
街中にある日突然ポッカリと空き地が出来ていて、そこに以前は何かが建っていたのは分かるんだけど、何だったかが思いだせない。そんな気分。
暫く考えていると祖母がやって来て「こことそこのツツジが邪魔だったから切ったんよ。これだと石(というか岩)がよく見えるでしょ?折角の月山なのに石が見えないのはもったいないからね」と…。そうか、ツツジが無くなったのか。しかも6本も切られてるよ。あたしよりも大きいサイズのデカ石3つの方がツツジ6本より大切だったのか?つか、ツツジは昨日今日生えたワケではなく、少なくとも10年以上前からその場所に生えていたのに何故急に邪魔になったのかが気になるよ。そしてどうせ切るなら剪定さんが来る前に切ってたら…折角剪定さんがまあるく可愛く切ってくれてたのにねぇ、もったいない。

そして今日。夕方帰宅後に庭に出るとまた祖母がノコを持ってウロウロしている。もしや!と思い昨日の場所に行くとまた更に2本のツツジが切られていました。チーン。その上さらに3本目も切ろうとするので「それは切らなくていいよ。月山がハゲになる」と止めたら「だって石が見えないから…」と別の石を指してそう答えた。ばーさんよ、誰かに何かを言われたのか?そうでないなら何故急に石が大切になったんだい?あたしは木の配置や石の配置のワビサビは全く分からないが、頑張って生えてる木をむやみやたらと切らなくてもいいと思うのだが。

しかしよくよく考えてみると、去年だか一昨年には仕事から帰るとヤマモモの木が切り倒されていたり、その前の年には柚子の木が数本切り倒されていたり、さらにその前の年には柿の木が切り倒されていたりもしたなぁ。さすがに年寄りが一人で切れるサイズの木ではないので、すべて業者に頼んで切ってもらったワケですが。「ヤマモモ酒美味しいから切らなくてもいいやん」とか「柚子もったいない」とか「これで干し柿が作れなくなるわ」とかその都度思っていたのを思いだしました。多分祖母は定期的に木を切りたくなるんでしょうね。今回は実のなる木じゃなくてよかったよ(え?そうゆう問題?)。ツツジが8本もなくなった庭を見ながら「銀杏作業の前に切ってくれてたら、仕事がはかどったのに」とちょっぴり切なくなりました。

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