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2016年11月24日

この道を辿れば遠いあの空に続く。

今日の産経新聞WESTのネット記事を見ました。新聞にも載ってるのかな?どうなんだろ。

【私の時間 シネマ】重岡大毅、キスシーンに挑戦 映画「溺れるナイフ」→産経WEST

芸能界に興味があったわけではない。友人に誘われて履歴書を送ったのを機に現事務所入り。が、大学進学を考える時期に生涯の仕事にしたいと考えた。「歌も踊りも芝居もお笑いもやらせてもらい、楽しくて。他の選択肢はなかった」

大学進学を考えた頃って普通に考えたら高2の終わりから高3ぐらいかな?
確かにその頃から重岡の意識は変わったように感じます。

重岡は一人だけデビューさせてあげるよって言われたらきっとサクッと関西を捨てて上京すると思ってた。なのに大学進学の時に関西に残ったからとても驚いた。つまりもうその頃(高校3年生時)には「一人だけでも這い上がってやる」って意識はなくなってたんだと思う。夏の松竹の主役だったり、城ホールでのコンサートでも0番に立つ事も多くなったり、一人だけセンターセリ上がりとか、そういう積み重ねが関西トップって意識を持たせて進学を関西にする決め手にしたんだと思う。
2014年9月QLAP!9月号の日記より

17歳になる夏前に優馬がデビューで東京に行きHey!Say!7WESTを抜け、その後から重岡は関西のセンターに立つようになりました。18歳になる夏の松竹では主役をし、年明けのあけおめコンでは一人で…たったひとりで城ホールのOPに登場しました。BADもBOYSもVETERANも他の7WESTのメンバーも、関西Jr.メインと言われる人たちが重岡の立っているセリにかぶせられた布の中にいて、その布がぶわっと取られた後に登場したのに。

この18歳以降、スマスマに呼んでもらったり、日生公演、クリエ公演、全国ツアーなどどんどんお仕事の幅も広がっていきました。顔つきもぐんと男らしくなって、年齢的な事もあるのかもだけれど重岡が大人の表情を見せるようになり、色々考えたり素敵な出会いがあったりしたんだろうなと思っていました。

高校卒業の時、関西の大学に進学した事にとても驚きました。重岡は東京の大学に行くと思っていたから。関西Jr.と東京Jr.では仕事の量も質も全然違うと思います。やっぱりデビューするには東京だと思うし賢い彼の事だからそれもきっとわかっていたと思います。それなのに関西に残った。そして高校卒業のタイミングでNHKのレギュラーが決まりました。しかしレギュラーといっても関西ローカルです。絶対東京に行った方がいいはずなのになんで関西に残ったの?

そうきっと答えはすごく簡単で…この進学を決める頃から重岡の意識は変わっていて、「デビューしたいな(ぼんやり)」から「デビューしてやる(決意)」に変わったんだと思うんです。少なくとも私は重岡を見ていてそう感じました。
その中でも一番変わったのは「関西Jr.の仲間とデビューしたい」になった事だと思うんです。重岡に直接聞いたわけではないし雑誌などで喋ったわけではないので私の想像でしかないけれど、「とにかく何でもいいからデビューしたい(できれは関西Jr.とがいいな~)」から「関西Jr.と、7WESTのメンバーとデビューしたい」に変わったのは確かなんです。
だから、関西Jr.の仲間とデビューするには関西にいなきゃいけなかったんです。
関西Jr.全体のスキルアップと知名度アップ、自分がテレビなどに出る事で還元されるあれこれを一生懸命頑張っていたように感じ取りました。

関西Jr.と東京Jr.の大きな違いがあって、それは東京Jr.は個人で頑張っているのに対して、関西Jr.は関西全体で頑張っている事です。
私は関西Jr.を「最果て」だといつも言っているのですが、やはり所詮関西は関西なんです。地方は地方なんです。Mステだって少年倶楽部だって東京収録で関西Jr.はほとんど呼ばれないし、DVDなどに収録されたりWSのカメラが入る公演もほとんどが東京公演、帝国劇場だって日生劇場だって新橋演舞場だって青山劇場だって全部東京の劇場、つまり東京Jr.がバックに付く事が多いのです。
だから関西Jr.の子たちは自分たちにチャンスが与えられたらその仕事を「関西Jr.の代表」という意識でしているし、「関西Jr.の為に爪痕を残す」と言う事を目標に頑張っています。
東京Jr.には負けへんと牙を剥いてたエイトメンバーも、爪痕を残すと必死になっていたウエストのメンバーも、そしてきっと今の関西Jr.の子たちも。
関東と関西どちらがいいとかではなく、チャンスは多いけれど人数もユニットも多く個々で戦っている東京Jr.も、一人一人が関西Jr.の代表として数少ないチャンスに必死に取り組み何か成果を残そうと頑張っている関西Jr.も、どちらも刹那的で美しいと思うのです。

そういった関西Jr.にずっと脈々と流れている関西Jr.イズムみたいな物が重岡にもちゃんと流れていて、あの頃口を開けば「爪痕、爪痕」と雑誌でもコンサートでも本当に関西の子たちはいつも言っていて、その関西全体の底上げみたいのが根底にあるからこそ、関西Jr.でデビュー、7人でデビューに繋がったのかもしれないなぁとも思うのです。

重岡の言葉はいつも真っ直ぐで、私の胸に真っ直ぐに刺さってきます。でも多くを語らず肝心な事はすぐにはぐらかしてしまう彼だから、その少ない言葉のひとつひとつを拾い集めてつなぎ合わせて、こうやって答え合わせが出来る時にやっと重岡の本当の気持ちがわかるというか、年月が経って当時の気持ちに少し寄り添う事が出来たような気がするんです。そしてそういうのも案外悪くないなとも思うのです。
もうすぐ初めてのドーム公演、きっと笑顔いっぱいで感謝の言葉を述べるであろう重岡を思い浮かべて、そんな笑顔の重岡が紡ぐ言葉をこぼさずに受け取りたいなぁと思っています。

【私の時間 シネマ】重岡大毅、キスシーンに挑戦 映画「溺れるナイフ」

一気に場が華やぐ。「明るく、ムードメーカーだと言われます。でもうちのグループはそんなヤツらの集まりですけど」。アイドルグループ、「ジャニーズWEST」の一員。心地よい関西弁の抑揚で続けた。「重い物語の中で、俺の役が明るいパートを担えたらと思って演じました」

出演映画「溺れるナイフ」(山戸結希監督)は、ジョージ朝倉氏の人気コミックが原作。東京から田舎町に来た美少女の夏芽(小松菜奈)と個性的なコウ(菅田将暉)を軸に危うい10代の恋と衝動を描く。

夏芽とコウの中学時代の級友で、クラスのムードメーカーである大友勝利役。ある事件以降、心を閉ざした夏芽に寄り添ううちに、思いを寄せていく。監督からは「そのままでいてほしい」と言われ、肩に力入れずにやろうと心掛けた。

「でも俺はあんなに一途に尽くせない。高校時代は格好つけがちやし。大友にはそれが全くなくて。彼にしたらええのにと思った(笑)」

和歌山県での撮影。空き時間には宿泊先の温泉に入り、「肌がツルツルになりました」と笑う。所属事務所のメンバー以外で、ほぼ同世代の俳優と映画に出演するのは初。「みんなすごい大人でしっかりしていて。俺が一番子供やった」

同学年で同じ大阪出身の菅田とよく話をした。「久しぶりにコテコテの関西人見たと言われて。撮影中、2人でオシャレなパスタ店に行き、お芝居の話を聞きました。俺の太い眉毛もよくいじられた。この映画が終わり、少し細くしたけど(笑)」。監督は現場でよくせりふを変えたそうで、作中に“眉毛いじり”の会話も入れられたという。
自身の見せ場は、自身初のキスシーンと、カラオケを歌う場面だ。「カラオケの尺がすごく長くて。完成作を見てビックリした」と笑う。歌の合間に“頑張れ”などとはさんだのはアドリブ。「監督が使ってくれてうれしかったです」

芸能界に興味があったわけではない。友人に誘われて履歴書を送ったのを機に現事務所入り。が、大学進学を考える時期に生涯の仕事にしたいと考えた。「歌も踊りも芝居もお笑いもやらせてもらい、楽しくて。他の選択肢はなかった」

グループは「帰る場所」で、メンバーは「大切な仲間でありライバル。互いの活躍が刺激になる」。知識を深めるため、時間があれば読書する。「だから速読に興味があって。ぱっと読めたら、得した気分になりそう」と笑った。常に努力家でありたい、という24歳は走り続ける。

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