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2006年12月19日

僕の歩く道

毎回欠かさずに見ていたドラマが一つ終わってしまいました。
このドラマには毎回泣かされていたのです。っていうのもね、なんか重なってしまうのですよ…教え子たちに。毎年沢山の子どもたちを送り出し、担任した子たちも軽く200人は超えて、そして毎年何人かの障害児の子たちにも触れ合ってきました。彼らには彼ら独特の感性があって、ぼんやりと生活していたら感じる事の出来ないであろう事も沢山学びました。

25歳の時に担任を持った3歳児クラスに自閉傾向のある子がいました。彼はまだその時には手帳を持っていなかったので、普通クラスに在籍していました。毎日が格闘で、会話は出来ないし、裸足で外に飛び出す、門を乗り越えて園外に勝手に出て行く。トイレの自立もまだだし、ちょっと目を離すと口の中いっぱいに砂利石をほお張っている。着替えも一人じゃ出来ないし、ロッカーの鞄の掛け方の向きがちょっと違うとパニックを起こし、失禁したり泣き喚きながら床に頭を叩きつけたりもしました。気に入らない事があると引っかかれたり噛み付かれたりもして、毎日が青あざだらけでした。
そのクラスには他にも障害児が2人いました(ダウン症と脳性麻痺の後遺症)。が、障害児担当の先生を雇うには手帳を持った障害児が3人以上いないと補助金が下りないとの事で、私一人で障害児3人(手帳保持は2人)と健常児19人を見るといった過酷な日々でした。毎日毎日園長に頼み込んで、やっと夏ごろからパートさんに入ってもらったのですが、その間健常児の子たちには沢山我慢をさせました。絵本を読み聞かせしていても、気に入らないとカンシャクを起こすのでその都度に中断してしまったりもしましたし、3人に掛かりっきりになって、十分に抱っこもしてあげれなかったような気がします。
わかっていたんです。クラスの子全員に平等に接しないといけない事は。でも無理だったんです。彼にどんな風に声を掛けないとパニックになるのかをわかっているのは私だけでしたし、他の2人に関してもリハビリの先生から直接指導して頂いたのは担任である私だけでしたから。言い訳のようですが…。あの頃は「ちょっと待ってて」ってのが口癖だったかもと今になって思うのです。

だからドラマを見ていて、テルの妹がお母さんに甘えたかったと泣いていたシーンでは胸が痛かったです。お母さんの気持ちが痛いほどよく分かるんです。今になっては反省してもしきれない事ではあるんですけどね。

彼が私の事を「せんせい」と呼んでくれたのは担任を持った時から2年後、彼が年長クラスをまもなく卒園しようかといった6歳の時にただ一度きりです。私の顔を見て「せんせい」と言ってくれた日の事を、今でも鮮明に覚えています。自分の先生だと理解していても言葉にして「せんせい」と言ってくれた事は後にも先にもその一回だけでした。それだけ時間の掛かる子たちなんです。新しい環境に慣れるっていうのは健常児も障害児も関係なくどの子にとっても勇気のいる事だし、慣れるのにはそれぞれのペースと時間が掛かるんですよね。それぞれの子どもたちに相応しい環境で過ごせて、理解ある人たちに出会ってもらいたいなぁと深く思いましたし、私が担任を持った子も、担任以外で関わった子も、全ての子たちが健やかに伸びやかに成長していって欲しいなぁと改めて思いました。

ドラマを見て、改めて自分の仕事の大切さを噛み締める事が出来てよかったです。しんどい事も年々増えるし(特に保護者に関してね)ほんま正直やっとれんわって思う事もあるけれど、あたしはこの仕事しか出来ないので、もう少し休養したらまた子どもたちに関わりたいなぁと思いました。やっぱ子どもが好きやねん。

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